후리가나로 읽는 일본 고전
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면
文晁は前にいったとおり、天保十一年に七十八で歿した。五百が二十五の時である。一斎は安政六年九月二十四日に八十八で歿した。五百が四十四の時である。夏蔭は元治元年八月二十六日に七十二で歿した。五百が四十九の時である。鼎斎は安政三年正月七日に五十八で歿した。五百が四十一の時である。鼎斎は画家福田半香の村松町の家へ年始の礼に往って酒に酔い、水戸の剣客某と口論をし出して、其の門人に斬られたのである。
五百は鼎斎を師とした外に、近衛予楽院と橘千蔭との筆跡を臨模したことがあるそうである。予楽院家煕は元文元年に薨じた。五百の生れる前八十年である。芳宜園千蔭は身分が町奉行与力で、加藤又左衛門と称し、文化五年に歿した。五百の生れる前八年である。
五百は藤堂家を下ってから五年目に渋江氏に嫁した。穉い時から親しい人を夫にするのではあるが、五百の身に取っては、自分が抽斎に嫁し得るというポッシビリテエの生じたのは、二月に岡西氏徳が亡くなってから後の事である。常に往来していた渋江の家であるから、五百は徳の亡くなった二月から、自分の嫁して来る十一月までの間にも、抽斎を訪うたことがある。