일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

ja-reading.com

후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면

아오조라 문고

その百

保は浜松表早馬町四十番地に一戸を構え、後また幾ならずして元城内五十七番地に移った。浜松城は本井上河内守正直の城である。明治元年に徳川家が新にこの地に封ぜられたので、正直は翌年上総国市原郡鶴舞に徙った。城内の家屋は皆井上家時代の重臣の第宅で、大手の左右に列っていた。保はその一つに母をおらせることが出来たのである。

この年七月四日に保の奉職している静岡師範学校浜松支部は変則中学校と改称せられた。

兼松石居はこの年十二月十二日に歿した。年六十八である。絶筆の五絶と和歌とがある。「今日吾知免。亦将騎鶴遊。上帝賚殊命。使爾永相休。」「年浪のたち騒ぎつる世をうみの岸を離れて舟漕ぎ出でむ。」石居は酒井石見守忠方の家来屋代某の女を娶って、三子二女を生ませた。長子艮、字は止所が家を嗣いだ。号は厚朴軒である。艮の子成器は陸軍砲兵大尉である。成器さんは下総国市川町に住んでいて、厚朴軒さんもその家にいる。

その百

抽斎歿後の第二十年は明治十一年である。一月二十五日津軽承昭は藩士の伝記を編輯せしめんがために、下沢保躬をして渋江氏について抽斎の行状を徴さしめた。保は直ちに録呈した。