후리가나로 읽는 일본 고전
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면
その九十九
渋江氏ではこの年感応寺において抽斎のために法要を営んだ。五百、保、矢島優、陸、水木、比良野貞固、飯田良政らが来会した。
渋江氏の秩禄公債証書はこの年に交付せられたが、削減を経た禄を一石九十五銭の割を以て換算した金高は、固より言うに足らぬ小額であった。
抽斎歿後の第十七年は明治八年である。一月二十九日に保は十九歳で師範学校の業を卒え、二月六日に文部省の命を受けて浜松県に赴くこととなり、母を奉じて東京を発した。
五百、保の母子が立った後、山田脩は亀沢町の陸の許に移った。水木はなお深川佐賀町にいた。矢島優はこの頃家を畳んで三池に出張していた。
その九十九
保は母五百を奉じて浜松に著いて、初め暫くのほどは旅店にいた。次で母子の下宿料月額六円を払って、下垂町の郷宿山田屋和三郎方にいることになった。郷宿とは藩政時代に訴訟などのために村民が城下に出た時舎る家をいうのである。また諸国を遊歴する書画家等の滞留するものも、大抵この郷宿にいた。山田屋は大きい家で、庭に肉桂の大木がある。今もなお儼存しているそうである。
山田屋の向いに山喜という居酒屋がある。保は山田屋に移った初に、山喜の店に大皿に蒲焼の盛ってあるのを見て五百に「あれを買って見ましょうか」