후리가나로 읽는 일본 고전
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면
その二十五
森枳園、名は立之、字は立夫、初め伊織、中ごろ養真、後養竹と称した。維新後には立之を以て行われていた。父名は恭忠、通称は同じく養竹であった。恭忠は備後国福山の城主阿部伊勢守正倫、同備中守正精の二代に仕えた。その男枳園を挙げたのは、北八町堀竹島町に住んでいた時である。後『経籍訪古志』に連署すべき二人は、ここに始て手を握ったのである。因にいうが、枳園は単独に弟子入をしたのではなくて、同じく十一歳であった、弘前の医官小野道瑛の子道秀も袂を聯ねて入門した。
その二十五
抽斎の家督相続は文政五年八月朔を以て沙汰せられた。これより先き四年十月朔に、抽斎は月並出仕仰附けられ、五年二月二十八日に、御番見習、表医者仰附けられ、即日見習の席に着き、三月朔に本番に入った。家督相続の年には、抽斎が十八歳で、隠居した父允成が五十九歳であった。抽斎は相続後直ちに一粒金丹製法の伝授を受けた。これは八月十五日の日附を以てせられた。
抽斎の相続したと同じ年同じ月の二十九日に、相馬大作が江戸小塚原で刑せられた。わたくしはこの偶然の符合のために、ここに相馬大作の事を説こうとするのではない。