후리가나로 읽는 일본 고전
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면
その十一
この時根津に茗荷屋という旅店があった。その主人稲垣清蔵は鳥羽稲垣家の重臣で、君を諌めて旨に忤い、遁れて商人となったのである。清蔵に明和元年五月十二日生れの嫡男専之助というのがあって、六歳にして詩賦を善くした。本皓がこれを聞いて養子に所望すると、清蔵は子を士籍に復せしむることを願っていたので、快く許諾した。そこで下野の宗家を仮親にして、大田原頼母家来用人八十石渋江官左衛門次男という名義で引き取った。専之助名は允成字は子礼、定所と号し、おる所の室を容安といった。通称は初玄庵といったが、家督の年の十一月十五日に四世道陸と改めた。儒学は柴野栗山、医術は依田松純の門人で、著述には『容安室文稿』、『定所詩集』、『定所雑録』等がある。これが抽斎の父である。
その十一
允成は才子で美丈夫であった。安永七年三月朔に十五歳で渋江氏に養われて、当時儲君であった、二つの年上の出羽守信明に愛せられた。養父本皓の五十八歳で亡くなったのが、天明四年二月二十九日で、信明の襲封と同日である。信明はもう土佐守と称していた。主君が二十三歳、允成が二十一歳である。
寛政三年六月二十二日に信明は僅に三十歳で卒し、八月二十八日に和三郎寧親が支封から入って宗家を継いだ。