후리가나로 읽는 일본 고전
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면
その二十九
抽斎はこれから隠居信順附にせられて、平日は柳島の館に勤仕し、ただ折々上屋敷に伺候した。
その二十九
天保十一年は十二月十四日に谷文晁の歿した年である。文晁は抽斎が師友を以て遇していた年長者で、抽斎は平素画を鑑賞することについては、なにくれとなく教を乞い、また古器物や本艸の参考に供すべき動植物を図するために、筆の使方、顔料の解方などを指図してもらった。それが前年に七十七の賀宴を両国の万八楼で催したのを名残にして、今年亡人の数に入ったのである。跡は文化九年生で二十九歳になる文二が嗣いだ。文二の外に六人の子を生んだ文晁の後妻阿佐は、もう五年前に夫に先って死んでいたのである。この年抽斎は三十六歳であった。
天保十二年には、岡西氏徳が二女好を生んだが、好は早世した。閏正月二十六日に生れ、二月三日に死んだのである。翌十三年には、三男八三郎が生れたが、これも夭折した。八月三日に生れ、十一月九日に死んだのである。抽斎が三十七歳から三十八歳になるまでの事である。わたくしは抽斎の事を叙する初において、天保十二年の暮の作と認むべき抽斎の述志の詩を挙げて、当時の渋江氏の家族を数えたが、ち来り※(「倏」