일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면

아오조라 문고

その百十

明治十五年に保が三河国国府を去って入京しようとした時、五門は懇親会において保と相識になった。初め函右日報社主で、今『大務新聞』顧問になっている。保は五門と倶に終日匿名の敵を待ったが、敵は遂に来なかった。五門は後明治三十八年二月二十三日に歿した。天保六年の生であるから、年を享くること七十一であった。

その百十

抽斎歿後の第三十一年は明治二十二年である。一月八日に保は東京博文館の求に応じて履歴書、写真並に文稿を寄示した。これが保のこの書肆のために書を著すに至った端緒である。交渉は漸く歩を進めて、保は次第に暁鐘新報社に遠かり、博文館に近いた。そして十二月二十七日に新報社に告ぐるに、年末を待って主筆を辞することを以てした。然るに新報社は保に退社後なお社説を草せんことを請うた。

脩の嫡男終吉がこの年十二月一日に鷹匠町二丁目の渋江塾に生れた。即ち今の図案家の渋江終吉さんである。

抽斎歿後の第三十二年は明治二十三年である。保は三月三日に静岡から入京して、麹町有楽町二丁目二番地竹の舎に寄寓した。静岡を去るに臨んで、渋江塾を閉じ、英学校、英華学校、文武館三校の教職を辞した。