일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면

아오조라 문고

その百四

これらの論戦の後、保は島田三郎、沼間守一、肥塚龍らに識られた。後に横浜毎日社員になったのは、この縁故があったからである。

保は十二月九日学校の休暇を以て東京に入った。実は国府を去らんとする意があったのである。

この年矢島優は札幌にあって、九月十五日に渋江氏に復籍した。十月二十三日にその妻蝶が歿した。年三十四であった。

山田脩はこの年一月工部技手に任ぜられ、日本橋電信局、東京府庁電信局等に勤務した。

その百四

抽斎歿後の第二十五年は明治十六年である。保は前年の暮に東京に入って、仮に芝田町一丁目十二番地に住んだ。そして一面愛知県庁に辞表を呈し、一面府下に職業を求めた。保は先ず職業を得て、次で免罷の報に接した。一月十一日には攻玉社の教師となり、二十五日には慶応義塾の教師となって、午前に慶応義塾に往き、午後に攻玉社に往くことにした。攻玉社は社長が近藤真琴、幹事が藤田潜で、生徒中には後に海軍少将に至った秀島某、海軍大佐に至った笠間直等があった。慶応義塾は社頭が福沢諭吉、副社頭が小幡篤次郎、校長が浜野定四郎で、教師中に門野幾之進、鎌田栄吉等があり、生徒中に池辺吉太郎、門野重九郎、和田豊治、日比翁助、伊吹雷太等があった。