일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

ja-reading.com

후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면

아오조라 문고

成善は近習小姓の職があるので、毎日登城することになった。宿直は二カ月に三度位であった。

成善は経史を兼松石居に学んだ。江戸で海保竹逕の塾を辞して、弘前で石居の門を敲いたのである。石居は当時既に蟄居を免されていた。医学は江戸で多紀安琢の教を受けた後、弘前では別に人に師事せずにいた。

戦争は既に所々に起って、飛脚が日ごとに情報を齎した。共に弘前へ来た矢川文一郎は、二十八歳で従軍して北海道に向うことになった。また浅越玄隆は南部方面に派遣せられた。この時浅越の下に附属せられたのが、新に町医者から五人扶持の小普請医者に抱えられた蘭法医小山内元洋である。弘前ではこれより先藩学稽古館に蘭学堂を設けて、官医と町医との子弟を教育していた。これを主宰していたのは江戸の杉田成卿の門人佐々木元俊である。元洋もまた杉田門から出た人で、後建と称して、明治十八年二月十四日に中佐相当陸軍一等軍医正を以て広島に終った。今の文学士小山内薫さんと画家岡田三郎助さんの妻八千代さんとは建の遺子である。矢島優善は弘前に留まっていて、戦地から後送せられて来る負傷者を治療した。

その八十三

渋江氏の若党の一人中条勝次郎は、弘前に来てから思いも掛けぬ事に遭遇した。