후리가나로 읽는 일본 고전
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면
父と共に仕えて表医者奥通に至り、明治三年に弘前において藩学の小学教授に任ぜられ、同じ年に家督相続をした。小学教授とは素読の師をいうのである。しかし保が助教授になっていたのは藩学の儒学部で、道悦が小学教授になっていたのはその医学部である。道悦も父祖に似て貨殖に長じていたが、終生主に守成を事としていた。然るに明治十一、二年の交、道悦が松田道夫の下にあって、金沢裁判所の書記をしていると、その留守に妻が東京にあって投機のために多く金を失った。その後道悦は保が重野成斎に紹介して、修史局の雇員にしてもらうことが出来た。子道太郎は時事新報社の文選をしていたが、父に先って死んだ。
尺振八もまたこの年十一月二十八日に歿した。年は四十八であった。
抽斎歿後の第二十九年は明治二十年である。保は一月二十七日に静岡で発行している『東海暁鐘新報』の主筆になった。英学校の職は故の如くである。『暁鐘新報』は自由党の機関で、前島豊太郎という人を社主としていた。五年前に禁獄三年、罰金九百円に処せられて、世の耳目を驚した人で、天保六年の生であるから、五十三歳になっていた。次で保は七月一日に静岡高等英華学校に聘せられ、九月十五日にまた静岡文武館の嘱託を受けて、英語を生徒に授けた。