후리가나로 읽는 일본 고전
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면
京水は独美の子であったか、甥であったか不明である。向島嶺松寺に立っていた墓に刻してあった誌銘には子としてあったらしい。然るに二世瑞仙晋の子直温の撰んだ過去帖には、独美の弟玄俊の子だとしてある。子にもせよ甥にもせよ、独美の血族たる京水は宗家を嗣ぐことが出来ないで、自立して町医になり、下谷徒士町に門戸を張った。当時江戸には駿河台の官医二世瑞仙と、徒士町の町医京水とが両立していたのである。
種痘の術が普及して以来、世の人は疱瘡を恐るることを忘れている。しかし昔は人のこの病を恐るること、癆を恐れ、癌を恐れ、癩を恐るるよりも甚だしく、その流行の盛なるに当っては、社会は一種のパニックに襲われた。池田氏の治法が徳川政府からも全国の人民からも歓迎せられたのは当然の事である。そこで抽斎も、一般医学を蘭軒に受けた後、特に痘科を京水に学ぶことになった。丁度近時の医が細菌学や原虫学や生物化学を特修すると同じ事である。
池田氏の曼公に受けた治痘法はどんなものであったか。従来痘は胎毒だとか、穢血だとか、後天の食毒だとかいって、諸家は各その見る所に従って、諸証を攻むるに一様の方を以てしたのに、池田氏は痘を一種の異毒異気だとして、いわゆる八証四節三項を分ち、偏僻の治法を斥けた。