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しんちょうき

新潮記

山本 周五郎

「北海道新聞」1943(昭和18)年6月12日~12月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,541 字 · 305 页

青空文庫

頼該は大名の子などに珍しく頭脳のするどい、気のめぐりの寛い、しかもひとつ事をこつこつと丹念にやるという気性で、家中の嘱望を集めていたから、この高松移居にはかなりはげしい反対運動がおこった。しかし頼該自身がまことに唯々諾々として高松へ移ったので、家臣たちの反対は騒動に及ばずして歇んだ。これはかれの性根の一部をよく表わしている事の一つである。

ひとり父の愛をあつめて育った頼胤は、九歳のとき兄たちを超えて松平家の世子となった。つまり水戸家からはいった頼恕の子として正式に頼儀の世孫の届けが出されたのである。……それからの頼胤はきわめて順調の道をあゆんで来た。十七歳のとき将軍家斉の女(文姫)を娶り、二十四歳で左近衛権少将、三十三歳で家を継ぐと、すぐ溜間詰めとなって、幕政に参画するようになった。そのとき幕府では水野忠邦と堀田正睦、間部詮勝らがしりぞき、阿部正弘が老中となって政治の転換を断行していた。その大きなあらわれの一つが水戸斉昭の隠居謹慎である。ごく大雑把に云うと、攘夷論の強硬派である斉昭を抑えることによって、幕府の開国策がすでにこのとき胚胎していたといえよう。