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しんちょうき

新潮記

山本 周五郎

「北海道新聞」1943(昭和18)年6月12日~12月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,541 字 · 305 页

青空文庫

現実の上にどっしりと腰を据えたものが主席を占めて、脆いもの、はかないもの、凝ったもの、詠嘆とかわびしさなどを弄ぶ人々は隅へ逐いやられた。しかもそれは一時の現象ではなくて、もはや動かすことのできない転換だということが誰の眼にもわかった。

梅八はもう名妓ではなかった。そんな貼札はもう三文の値もなかった。そして「名妓」という貼札が剥げたとき、虚名の下に掩われていた本当の自分というものを梅八は知った。そのときの感じを、かの女は大助にむかってこう告白したことがある。――気がついてみたら、あたしは十六で芸妓に出たときのまま、成長もせず退歩もしていませんでした、四十年ちかいとしつきはまるで煙のように、あたしの心にも躯にもあとかたを遺さずに消え去ってしまったんです、そのとしつきは眠った間に過ぎ去ったほどの意味もありませんでした、あたしは死んでしまおうと思いました。

大助は梅八の身の上を話しながら、藤尾に対して二つの意味を暗示した。一つは藤尾の不仕合せが決して稀なものでなく、もっとむざんな生涯はほかにいくらもある、藤尾の場合むしろ普通だという意味であった。そしてもう一つは、現実の上に立たない生活がどんなに空虚なものかということである。