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しんちょうき

新潮記

山本 周五郎

「北海道新聞」1943(昭和18)年6月12日~12月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,541 字 · 305 页

青空文庫

――これは、と寒笑は眼をみはった。客は男であり老人であり、しかも武家である。武家である証拠には(以前は帳場で預かったものだが)膝の右に大剣が置いてある。

「遠慮は無用、これへまいれ」

武士はそう云った。寒笑はかっとあがった。武家の老人などとさしで会ったのは生れて初めてである。ふだんは武士がなんだと思っているけれども、根が正直で気が小さくて、自分の卑弱なところをよく知っている男だから、いざ面と向うともうそれだけで眼がくらくらする感じだった。

自分の前へ酒肴の膳が据えられたのも、藤吉が席をはずしたのも気がつかなかった。

「別に酌はせぬから」と老武士は云った、「くつろいで飲むがよい」

「へえ、へえ戴きます、おそれいります」

「飲まぬか」

「へえ、おそれいります」

まるで夢中だった。膝をかたくして、ふるえる手で燗徳利と猪口を取ったが、あがっているから酒は猪口を溢れて膳の上へ落ちた。それでもどうやらごまかして、三杯ばかり薬でものむように啜ると、こんどは肴を食えという。で肴を食った。

――こいつはたいへんな代物にでっくわしたぞ、藤すけめひでえことをしやあがる。怨んでみても追いつかない、ただかしこまって、いわれるままに酒を飲んだり肴をつついたりしていたが、やがてそれではあんまり知恵がないということに気がついた。