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しんちょうき

新潮記

山本 周五郎

「北海道新聞」1943(昭和18)年6月12日~12月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,541 字 · 305 页

青空文庫

「どちらへ着けます」

舟足がきまって、若い船頭がそう訊いた。

「梅隠亭へ着けてくれ」

「と、……木母寺のしもでしたか」

「牧野備前の上だ」

「ああそうですか、近頃できた家でしたね」

舟は、まっすぐに川をのぼった。そのうしろから、およそ三十間ほどの距離をおいて、灯をつけない一艘の猪牙舟が追っていた。それは笛の客と梅八の舟が出ると間もなく、近くの舟宿から漕ぎだしたもので、あきらかにこっちのあとを追っているらしく、なかには三人の武士が乗っていた。もちろんこちらは気がつかなかった。吾妻橋をぬけ小梅を右にみて、三囲の少し上までのぼると、笛の客が桟橋を教えて、舟は着いた。

「お待ち申しますか」

「うん」

船頭は舟を繋いで案内に立った。堤を向うへおりると印行燈のついた柴折戸がある。声をかけると女中が二人、植込をぬけて走って来た。「梅隠亭」という提灯の字がはっきりと梅八の眼にうつった。……そのとき川では、追って来た舟が、その桟橋の少し下へ着き、三人の武士たちがひそかに土堤へあがっていった。

その付近は諸侯の別荘とか、富豪の隠居所などが多く、その間あいだにある料亭も、市中のものとは違って風流閑雅を主としていたから、夜などはきわめて静かだったし、ふとしては聞える絃歌の類もみがきのかかったものが多かった。