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しんちょうき

新潮記

山本 周五郎

「北海道新聞」1943(昭和18)年6月12日~12月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,541 字 · 305 页

青空文庫

「婚礼の盃は、女から先だ、落ち着けよ大さん」

「いや、なにしろ」

大助は気があがっているので、三宝を持つ手が見えるほど震えていた。藤尾はしずかに盃を取った。盃は三たび、しずかに二人のあいだを往来した。このあいだ店のほうの物音はしずまり、庭へなだれ込む人の足音が、ばらばらとこの家のほうへ迫って来た。

「藤尾、これでおまえは早水秀之進の妻だ」かれは容を正して云った、「わたしのゆく道は改めて云うまでもあるまい、おまえも秀之進の妻であるからには、良人のゆく道を怖れはしない筈だ、いいか、なにごとがあっても怖れたり怯んだりしてはならんぞ……あとをたのむ、ゆくぞ大さん」

秀之進は立った。藤尾はすばやく大剣をとってさしだした。戸外には人の足音が入り乱れ「此処だ」「集まれ」という叫び声が闇を劈いて聞えた。秀之進は大剣を腰に差し、土間へ下りた。藤尾は手燭をさしかざしながら、大助はむしろ茫然として、酔ったように秀之進の動作をみまもるばかりだった。

かれは雨戸を明けた。戸口から洩れる手燭の光りがさっと前庭へながれ、二三人の人影がつぶてのように闇へとんだ、秀之進は外へ出ると、足を止めて空を仰いだ。