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しんちょうき
新潮記
山本 周五郎
「北海道新聞」1943(昭和18)年6月12日~12月20日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,541 字 · 305 页
それはいかにも大助らしい純真な、温かい、思い遣りの深い気持だった。そしてかれのひとがらの好さは娘にも察しがついたのであろう、殻を閉じたような緘黙の態度こそ変えなかったが、大助の云うことにはおとなしく頷くようになった。
遺骨の一片を拾って、かれらは山麓からこの箱根へ来た。そして塔ノ沢にあるこの温泉宿へ草鞋をぬいでから今日でもう七日めだった。
「おさげ申してもよろしゅうございますか」宿の婢が食膳をさげに来た、「今夜はこの下の柏屋に軍談講釈がかかるそうでございます、もしおいでなさいますのでしたらお席をとって置きましょうか」
「講釈だそうです、聞きますか」大助は娘をかえりみた。
「いいえ、わたくしは……」藤尾はかすかに身震いをした。
宿の婢が食膳をさげてゆくと間もなく、早川の瀬音にまぎれていた雨が、しだいに強く、はっきりと軒を打つほどに降りだした。
大助は立ちあがって窓を明け、闇を罩めて降る雨脚のかなたに、白く泡を噛んでいる渓流をじっと見まもった。昨日あたりからかれは心を急いている。早く秀之進のあとを追わなければならぬからだ。もう遅れすぎてさえいる。秀之進がどう思っているかと考えると、すぐにも此処を立っていきたい気持だった。