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しんちょうき
新潮記
山本 周五郎
「北海道新聞」1943(昭和18)年6月12日~12月20日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,541 字 · 305 页
「いきなりでげすか、へへん、からす貝とね、このまえはたしか黒馬とおいでなすったっけ、おかげで俳名に不自由はねえというやつさ、けれどもからす貝とはそもさん」
「それよりおまえ富にでも当ったのか」
「なにゆえでげす」
「箱根で湯治などという芸当のできる柄じゃあるまい、それとも誰かのとりまきか」
「そういう難舌だからとかく女に嫌われやす、へん、いま売りだしの竹亭寒笑『艶色恋の手車』の作者を知らねえな」
「そんなばけ物は知らないよ」
「冗談ぬきで若旦那、寒笑一代の傑作でげすぜ、馬喰町の和田平から今年の初刷りに出したのが大受け、二巻で大尾としたところが看客みなさまやいのやいののお好みにより巻を重ねること六たび、ようやく脱稿して斯くは山の湯へ疲れやすめという幕でげす」
「からす貝の作が売れるとはとんだ世の中になったものだ、そんなことなら讃岐くんだりから出て来るんじゃあなかったよ」
「ちょんと入れやす」寒笑は湯ぶねからあがって、「あらためて御挨拶、このたびは道中御無事でようこそ御入来、また昨年はお立ちの折いろいろと、えへん」
「よせよせ、つばきが飛ぶぞ」
「本当のところ今年はおくだりが遅うございましたね、あなたのこったからお国でまた道楽がすぎて当分御謹慎ということにでもなっていらっしゃるんだろう、梅八がそうお噂をしていやしたぜ」