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ふたばていよだん
新編 思い出す人々
内田 魯庵
内田魯庵『新編 思い出す人々』。同一底本的分册已合并为一书。收入:二葉亭余談、淡島椿岳、鴎外博士の追憶、硯友社の勃興と道程、最後の大杉、斎藤緑雨、三十年前の島田沼南、美妙斎美妙、二葉亭四迷、二葉亭四迷の一生、二葉亭追録、明治の文学の開拓者、四十年前、露伴の出世咄。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 215,401 字 · 427 页
今なら重婚であるが、その頃は門並が殆んど一夫多妻で、妻妾一つ家に顔を列べてるのが一向珍らしくなかったのだから、女房を二人持っても格別不思議とも思われなかった。そういう時勢であったから椿岳は二軒懸持の旦那で頤を撫でていたが、淡島屋の妻たるおくみは男勝りの利かぬ気であったから椿岳の放縦気随に慊らないで自然段々と疎々しくなり、勢い椿岳は小林の新らしい妻にヨリ深く親むようになった。かつ淡島屋の身代は先代が作ったので、椿岳は天下の伊藤八兵衛の幕僚であっても、身代を作るよりは減らす方が上手で、養家の身代を少しも伸ばさなかったから、こういう破目となると自然淡島屋を遠ざかるのが当然であって、維新後は互に往来していても家族的関係は段々と薄らいで来た。
それ故、維新後は本姓の服部よりは世間に通りの好い淡島と改称して、世間からも淡島と呼ばれていたが、戸籍面の本姓が小林であるばかりでなく、事実上淡島屋を別戸していた。随って椿岳の後継は二軒に支れ、正腹は淡島姓を継ぎ、庶出は小林姓を名乗ったが、二軒は今では関係が絶えて小林の跡は盛岡に住んでるそうだ。
が、小林にしろ淡島にしろ椿岳の画名が世間に歌われたのは維新後であって、維新前までは馬喰町四丁目の軽焼屋の服部喜兵衛、又の名を小林城三といった油会所の手代であった。