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やなぎばしものがたり
柳橋物語
山本 周五郎
前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页
記憶はそこまで出ている。針の尖で突いてもすべてがぱっと明るくなりそうである。動悸が高く、胸が熱くなって、額に汗がにじみだした。
「まあこんなとこにいたのかえ」
子供を抱いたお常が、こう云いながら近寄って来た。参詣する人たちの混雑で見はぐれていたらしい。
「どこへいったのかと思って捜してたじゃないの、どうしたのいったい」
「あたし此処に覚えがあるの」お常のほうは見ずにおせんがこう呟いた、「――あたし此処を知っているわ、いつのことかわからないけれど、慥かに覚えがあるし、それに、誰かの顔も見えるわ」
「たくさん、たくさん、そんなことであたまを使うとまたぶり返すよ、さあもう帰ろうおせんちゃん」
唯ならぬ表情をしているので、お常はこう云いながら腕を取ってせきたてた。そのときおせんは「庄さん」と呟いた。お常に腕を取られたとたんに、ふっとその名が、あたまにうかんだのである。
「ああ」
おせんは身をふるわせ、両手の指をきりきりと絡み合せた。
「――庄さん」
「おせんちゃん、どうしたのさ」
「おばさん、わかってきた、あたしわかってきたわ、庄さん、――と此処で逢った、あのひとは此処から上方へいったのよ」