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やなぎばしものがたり
柳橋物語
山本 周五郎
前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页
杉田屋の幸太だった。彼は頭巾付きの刺子を着ていたが、その頭巾をはねながら上り框へ片足をかけた。
「もう立退かなくちゃあいけないよ爺さん、立花様へ飛んだ火が御蔵前のほうへかぶさって来た、こいつはきっと大きくなる、いまのうちに川を越すほうがいい、おれが背負っていくぜ」
「よく来てお呉んなすった、済まない」源六はじっと幸太の眼を見いった、「……せっかくだがおれのことはいいから、どうかこのおせんを頼みますよ、おれはこんなからだだし、もう年が年だから」
「ばかなことを云っちゃあいけない」幸太は草鞋のまま上へあがった、「……としよりを置いて若い者が逃げられるものか、さあこの肩へつかまるんだ、おせんちゃん、持ってゆく物は出来ているのかい」
「ええもう包んであるわ」
「じゃちょっと手を貸して爺さんを負わして呉んな、なにか細帯でもあったら結びつけていこう。色消しだがそのほうが楽だ」
構わないで呉れと泣くように云う源六を、幸太はむりに肩へひき寄せ、おせんの出して来たさんじゃく帯で、しっかりと背へ括りつけた。おせんは歯をくいしばった。幸太とは単純でないゆくたてがある。どんなに苦しくとも彼にはものを頼みたくない、然しこのばあい他にどうしようがあろう、彼がとびこんで来たとき、おせんは嬉しさに思わず声をあげそうになった。