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じろうものがたり

次郎物語

下村 湖人

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 159,223 字 · 320 页

青空文庫

弾きとばされたのは、彼の視線ばかりではなかった。次郎は謙蔵の眼をさけるために、いつも自分の体の置きどころを考えなければならなかった。――以前からも、彼は謙蔵を避けるふうがあったが、その当時とは意味がまるでちがって来たのである。――彼はなるべく学校のかえりをおくらす工夫をした。出来るだけ魚釣に出た。近所の農家が忙しくて遊び相手がないと、進んでその手伝いもやった。しかし日暮になって家の近くまで帰って来ると、彼の胸には、いつも鉛のような重いものが、のしかかって来るのだった。

彼は、謙蔵を伯父さんとは決して呼ばなくなった。しかしそれは、そう呼ぶのがいやだったからというよりは、呼びたくても、もうそうは呼べなかったからであった。謙蔵に何か言わなければならない用を、老夫婦やお延に言いつかると、彼はいつもそれを、巧みに誠吉や他の従兄弟たちに譲った。そして、彼らが――誠吉もまた――謙蔵を「父さん」と呼んで、こだわりなく用をすましているのを陰で聞きながら、自分一人が、彼らにまで、のけ者にされているような感じになるのだった。

かように、正木の家の明るい空気の中で、謙蔵の胸には次郎が、次郎の胸には謙蔵が、いつも黒いかたまりになって、こびりついていた。