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じろうものがたり

次郎物語

下村 湖人

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 159,223 字 · 320 页

青空文庫

次の瞬間には、お民の手が蚊帳の中に伸びて来て、有無を言わせず、彼の体をずるずると板の間に引き出してしまったのである。

「まあ、そんなに乱暴になさらなくても……」

お浜の少し怒りを帯びた声が、戸口から聞えた。もうその時には、次郎は、まる裸のまま板の間にすわって、眼をこすったり、腕を掻いたりしていた。

彼は泣かなかった。諦めとも悲壮な決心ともつかないようなものが、この時、彼の心を支配したのである。

「奥さん、どうなさいますので……」

そう言って、爺さんは蚊帳の中からのそのそと出て来た。そして次郎にたかって来る蚊を、団扇でおってやった。

戸外の縁台からは、お浜のあとについて、お作婆さんや、勘作や、お兼や、お鶴が、ぞろぞろと這入って来た。みんな土間に突っ立ったまま、默りこくってお民と次郎とを見くらべている。その中で、お浜の眼だけが、かなり険しく光っていた。ほかの人達は、ただあっけにとられたといったふうであった。

それからお民は、女教師のような口吻で、何やらながながと次郎に話して聞かした。しかし、それは次郎の耳にはほとんど一言も這入らなかった。彼は、その間、お浜の表情だけを、注意深く窺っていた。