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じろうものがたり
次郎物語
下村 湖人
01 第一部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 159,223 字 · 320 页
そんなわけで、彼女はいよいよ正木の家を辞するまでには、大方小半時もかかった。
次郎は見おくっても出なかった。彼は畳の上にねそべって、母の青い顔を見つめていた。すると、母の眼尻から、彼の全く予期しなかったものが、ぼろぼろとこぼれ落ちた。それは不思議なかがやきをもって彼の心にせまった。
「母さん、どうしたの?」
次郎は、はね起きて母の枕元によって行った。母は、しかし、もうその時には、うるんだ眼に、微笑をたたえて、次郎を見ていた。そして、
「次郎だけは、いつもあたしのそばにいて貰えるわね。」
次郎は、彼の五六歳ごろから見なれて来た母の顔を、もうどこにも見出すことが出来なかった。そこには全くちがった母の顔があった。そしてその顔から、お浜にも、春子にも、正木のお祖母さんにも見出せなかったある深い光が、泉の底の月光のように、静かにふるえて流れ出しているのを、次郎は感ずることが出来たのである。
三八 再会
九月の新学期が始まるころには、次郎の眉も可笑しくないほどに伸びていた。皮膚の色はまだまだらだったが、人に気味悪がられるほどではなかった。次郎はむろん学校に行くつもりでいた。