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じろうものがたり

次郎物語

下村 湖人

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 159,223 字 · 320 页

青空文庫

しかし、それは嬉しくてたまらないからではなかった。嬉しいには嬉しいが、その奥に不安とも、好奇心ともつかぬ、えたいの知れないものが動いていた。彼は自分の落着かない気持を自覚して、それを母に見せまいとつとめたが、彼の動作はいつもそれを裏切った。彼は用もないのに、部屋を出たり入ったりした。薬の時間でもないのに、ひょいと薬壜をとり上げ、その目盛をすかして見たり、栓をぬいてみたりした。また、ぽかんとして庭を見つめていて、急に気がついたように母の顔をのぞいたりした。お民は彼のそんな様子を見ながら、いつも微笑していたが、彼はその微笑にでっくわすと、よけいにそわそわした。

お浜は、電報を受取ってすぐたちさえすれば、翌日の夕方までには着くはすであった。次郎はお祖母さんの言葉でそれを知っていた。しかし彼は、その時刻になっても病室に落ちついていて、お浜のつく時間なんか忘れているかのように見えた。そのくせ、彼の言ったり、したりすることは、とんちかんなことが多かった。彼の頭の中は、もうお浜で一ぱいであった。眼の前にお浜の顔が始終現れたり消えたりした。それはさほど鮮明ではなかったが、かえってそのために、彼はまぼろしの中に吸いこまれるような気持だった。