일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면

아오조라 문고

海保竹逕の妻、漁村の女がこの年十月二十五日に歿した。

抽斎歿後の第十四年は明治五年である。一月に保が山田脩の家から本所横網町の鈴木きよ方の二階へ徙った。鈴木は初め船宿であったが、主人が死んでから、未亡人きよが席貸をすることになった。きよは天保元年生で、この年四十三歳になっていた。当時善く保を遇したので、保は後年に至るまで音信を断たなかった。これより先保は弘前にある母を呼び迎えようとして、藩の当路者に諮ること数次であった。しかし津軽承昭の知事たる間は、西館らが前説を固守して許さなかった。前年廃藩の詔が出て、承昭は東京におることになり、県政もまた頗る革まったので、保はまた当路者に諮った。当路者は復五百の東京に入ることを阻止しようとはしなかった。唯保が一諸生を以て母を養わんとするのが怪むべきだといった。それゆえ保は矢島優に願書を作らせて呈した。県庁はこれを可とした。五百はようよう弘前から東京に来ることになった。

保が東京に遊学した後の五百が寂しい生活には、特に記すべき事はない。ただ前年廃藩前に、弘前俎林の山林地が渋江氏に割与せられたのみである。これは士分のものに授産の目的を以て割与した土地に剰余があったので、当路者が士分として扱われざる医者にも恩恵を施したのだそうである。