후리가나로 읽는 일본 고전
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면
文政十二年三月十七日に歿して、享年五十三であったというから、抽斎の生れた時二十九歳で、本郷真砂町に住んでいた。阿部家は既に備中守正精の世になっていた。蘭軒が本郷丸山の阿部家の中屋敷に移ったのは後の事である。
阿部家は尋で文政九年八月に代替となって、伊予守正寧が封を襲いだから、蘭軒は正寧の世になった後、足掛四年阿部家の館に出入した。その頃抽斎の四人目の妻五百の姉が、正寧の室鍋島氏の女小姓を勤めて金吾と呼ばれていた。この金吾の話に、蘭軒は蹇であったので、館内で輦に乗ることを許されていた。さて輦から降りて、匍匐して君側に進むと、阿部家の奥女中が目を見合せて笑った。或日正寧が偶この事を聞き知って、「辞安は足はなくても、腹が二人前あるぞ」といって、女中を戒めさせたということである。
次は抽斎の痘科の師となるべき人である。池田氏、名は※、字は河澄、通称は瑞英、京水と号した。
原来疱瘡を治療する法は、久しく我国には行われずにいた。病が少しく重くなると、尋常の医家は手を束ねて傍看した。そこへ承応二年に戴曼公が支那から渡って来て、不治の病を治し始めた。廷賢を宗とする治法を施したのである。