후리가나로 읽는 일본 고전
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면
曼公、名は笠、杭州仁和県の人で、曼公とはその字である。明の万暦二十四年の生であるから、長崎に来た時は五十八歳であった。曼公が周防国岩国に足を留めていた時、池田嵩山というものが治痘の法を受けた。嵩山は吉川家の医官で、名を正直という。先祖は蒲冠者範頼から出て、世々出雲におり、生田氏を称した。正直の数世の祖信重が出雲から岩国に遷って、始て池田氏に更めたのである。正直の子が信之、信之の養子が正明で、皆曼公の遺法を伝えていた。
然るに寛保二年に正明が病んでまさに歿せんとする時、その子独美は僅に九歳であった。正明は法を弟槙本坊詮応に伝えて置いて瞑した。そのうち独美は人と成って、詮応に学んで父祖の法を得た。宝暦十二年独美は母を奉じて安芸国厳島に遷った。厳島に疱瘡が盛に流行したからである。安永二年に母が亡くなって、六年に独美は大阪に往き、西堀江隆平橋の畔に住んだ。この時独美は四十四歳であった。
独美は寛政四年に京都に出て、東洞院に住んだ。この時五十九歳であった。八年に徳川家斉に辟されて、九年に江戸に入り、駿河台に住んだ。この年三月独美は躋寿館で痘科を講ずることになって、二百俵を給せられた。