후리가나로 읽는 일본 고전
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
森 鴎外의 渋江抽斎(しぶえちゅうさい)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,525자 · 334화면
別に集古堂という号がある。
重兵衛に女が二人あって、長女に壻を迎えたが、壻は放蕩をして離別せられた。しかし後に浅草諏訪町の西側の角に移ってから、またその壻を呼び返していたそうである。
重兵衛は文久元年に京都へ往こうとして出たが、途中で病んで、十二月十五日に歿した。年は六十三であった。抽斎の生れた文化二年には、重兵衛は七歳の童であったはずである。
重兵衛の子孫はどうなったかわからない。数年前に大槻如電さんが浅草北清島町報恩寺内専念寺にある重兵衛の墓に詣でて、忌日に墓に来るものは河竹新七一人だということを寺僧に聞いた。河竹にその縁故を問うたら、自分が黙阿弥の門人になったのは、豊芥子の紹介によったからだと答えたそうである。
以上抽斎の友で年長者であったものを数えると、学者に抽斎の生れた年に十六歳であった安積艮斎、十歳であった小島成斎、九歳であった岡本况斎、八歳であった海保漁村がある。医者に当時十一歳であった多紀庭、二歳であった伊沢榛軒がある。その他画家文晁は四十三歳、劇通寿阿弥は三十七歳、豊芥子は七歳であった。
抽斎が始て市野迷庵の門に入ったのは文化六年で、師は四十五歳、弟子は五歳であった。