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しんちょうき
新潮記
山本 周五郎
「北海道新聞」1943(昭和18)年6月12日~12月20日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,541 字 · 305 页
秀之進は仰臥したまま、蚊屋の中でじっと息をひそめていた。
夜はすっかり更けていた。もうみんな寝たのだろう、客間のほうもひっそりとしている。部屋の隅で蚊の翅音がしているし、庭からきりきりきりというような早い夏の鳴虫の音が聞えてくる。
足音はこの部屋の前でとまり、そのまま、暫く動かなかった。こちらの寝息を窺っているようすである。秀之進はふと、――江戸屋敷で校川宗兵衛に会ってゆけ、そう云ったときの左近さまの眼光が思いだされた。宗兵衛に会って水戸への手掛りを付けて貰えという申付けの裏に、実父に会わせるというもう一つの意味があった。
その時が来たのである。
父はそこにいる、障子ひとえそとに立っている、そしてこちらの寝息に耳を澄ましているのだ。秀之進はじっと闇をみまもり、呼吸をしずめて待った。
夜警の柝の音が遠くから聞えてくる。長屋の向うがわをまわり、老臣の家が並んでいるほうへとゆくらしい。……何に驚いてか、庭の虫の音がはたとやんだ。
――どうしたのだろう。
廊下はひっそりとして身動きをするけはいもない。秀之進はなにやら息苦しさを感じだした。……足音を聞いたのは誤りではなかったのか、本当に障子のそとに父はいるのだろうか、いるとすればなんのためにこのようにいつまでもこちらのようすを窺っているのだ。