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じろうものがたり
次郎物語
下村 湖人
01 第一部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 159,223 字 · 320 页
これはお浜も全く予期しなかったことであった。
次郎は、その時、もう寝床に這入っていた。真夏のころで、寝床といっても、茣蓙一枚だった。むれ臭い蚊帳のそとでは、蚊が物すごい唸りを立てていた。
次郎のそばには校番の弥作爺さんが寝ていた。――爺さんは、人を笑わせるような短い話をいくつも知っていたので、次郎は、この頃、お浜のそばよりも、爺さんのそばに寝るのが好きになっていたのである。
爺さんは、ゆっくりゆっくり話をすすめながら、おりおり大きな欠伸をした。すると、そのたんびに、しょぼしょぼした眼尻から、ねばっこい涙がたらたらと流れ出して、耳の方にはっていった。次郎は、指先で、自分の好きな方向に、涙に道をつけてやるのが、また一つの楽しみであった。
その楽しみの最中に、お民がやって来たのである。
彼女は中には這入って来なかった。しかし、次郎は、声を聞いただけで、すぐそれが誰だか、そして何の用で来たかが、はっきりわかった。彼は小さい胸をどきつかせながら、眠ったふりをして耳をすました。
話し声は、戸外の縁台から、団扇の音にまじって聞えて来る。
「そりゃ、私だって、今では一日も早くおかえししたい、とは思っていますが……」