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こきょうしちじゅうねん

故郷七十年

柳田 国男

「神戸新聞」神戸新聞社、1958(昭和33)年1月9日~9月14日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 257,350 字 · 507 页

青空文庫

弟が絵をやるようになったことについて、私は辻川の昔を思い出すのだが、松岡氏は、三木氏よりも来住が少し古いといわれ、先祖は兄弟で東西の二組に分かれ、三木家の近くにあるのは主として兄の方の系統、西組の弟の筋は家が多くてみな小さく、私の生まれた家はその中の東の端であった。この方の本家は「柿の木屋」といって柿が多く、家はそのころ衰えて老女と孫の男の子と二人きりになっていたが、赤穂の家老の大石家と縁つづきで、大石主税が母の里方の但馬へ行く路で一夜泊ったという伝説があった。

私の家などは、ここからの孫分家であった。この「柿の木屋」の少し東手に「ます屋」といったのが、やはり同族で宿屋となり、また人力車の立場(中継所)でもあった。

私と弟の静雄、輝夫の三人の兄弟は、ここに来て休む遠近の人力車の背後にえがかれた武者絵を鑑賞すべく、毎日のように通ったが、とくに遠方から綱引きなどで走って来る人力車を歓迎した。これは弟を画家にした一つの因縁かもしれない。これなども、私には大切な辻川文化史の一節であった。ちなみに、映丘という雅号は、本名の輝夫にちなみ、次兄の通泰がつけたものである。