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こきょうしちじゅうねん
故郷七十年
柳田 国男
「神戸新聞」神戸新聞社、1958(昭和33)年1月9日~9月14日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 257,350 字 · 507 页
慈恩寺の碑文
しかし碑文は結局もとのままで谷中にたてることになった。
これも感情をあらわすのに、昔からのままのをとるよりほか仕方がないという考え方に反発した、いわば私の文章作業の一つだったのである。
碑文の文字はたしか飯田藩出身の、大審院の書記をしていた人が書いてくれたと思う。
慈恩寺の碑文
私はもう一つ碑文を書いたことがある。いまは埼玉県の岩槻市に編入されたが、慈恩寺という村があった。昔の寺領で、同じ名の慈恩寺と呼ぶ天台宗の寺があった。この寺には後年本願寺の大谷光瑞さんの秘書をしていた水野梅暁氏も厄介になっていたことがある。その関係からか、シナの南京で発掘された玄奘三蔵の遺骨の一部がここに安置されている。梅暁氏は戦後あそこで亡くなった。そのお弟子にあたる筋の人が埼玉県には大分いた。その慈恩寺の坊さんで、内務省の事務なども手伝っていた若いハイカラな坊さんで、始終私の所に来る人があった。
慈恩寺という寺は、昔は周囲が原野ばかりで、徳川将軍が狩りに行った辺にあった。一村ことごとく寺内で、この中にどういうものか小さな神社がたくさんあった。そしていちばん大事なお社は諏訪神社であった。