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こきょうしちじゅうねん
故郷七十年
柳田 国男
「神戸新聞」神戸新聞社、1958(昭和33)年1月9日~9月14日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 257,350 字 · 507 页
ネフスキーの晩年
非常にはかのゆかない仕事であるが、その功績は無視するわけにはゆかない。日本語と沖縄語とが共通であるという結論は両者同じでも、それを導き出す方法には帰納の方が演繹よりも適当なわけである。しかもそのノートは葉書大の白い紙に、暇さえあれば書き留めていたものだが、それが、今も東京に残っているのである。
ネフスキーの晩年
ネフスキーがロシアに帰ったのは何年のことであったか、どうもはっきりしない。夫婦でロシアに帰って、しばらくはよかったらしいが、手紙は来ないし、こちらから出しても何の反響もなかった。後で判ったことだが、ロシアとの交通が開けてから大阪外語の教授が一人先方へ行き、ネフスキーに会ったのである。
その話は非常に印象的であった。その人が行った時、もう北海道から伴れて行った細君は牢屋で死んでしまっていた。そしてネフスキー自身も監禁されていたので、面会を許されて行って見ると、顔の色からすでに変っていて、日本の悪口をいろいろいったそうである。
日本には恨みがあるとか、不満があったとかいうので、それだけで背後にだれか立ち聞きしているものがあることが自然に分るほどだったので、強いて争わず、ただそんなはずはないと思いながら、別れて帰って来たのが最後であったそうである。