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こきょうしちじゅうねん

故郷七十年

柳田 国男

「神戸新聞」神戸新聞社、1958(昭和33)年1月9日~9月14日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 257,350 字 · 507 页

青空文庫

それが偶然の手伝った移住の原因であった。

親の方でも仕方なしに、後から関東へ出て来たが、母などは郷里の常識しかもっていなかったわけだから、どうも双方のために不為なことが少なくなかった。明治二十二年の夏から、二十九年に父母が亡くなるまで、体も大分弱っていたし、気持も何となくイライラするようなこともあった。あんな思いをせずに亡くなったのだったら、と思うこともあるが、仕方のないものである。

長兄はそんなわけで何かというと郷里の話をしたが、それはたいてい、子供の私が聞いても時勢遅れとしか取れないようなことであった。こんなことがある。

明治になってから、わが国でも急に木綿織の反物類が盛んになり、一時日本の棉作りの黄金時代のようなときがあった。初めは大和とか河内など近畿地方の平地で余計に作っていた。それが次第にひろがり、山陽線の両側などでは、夜など棉の実が割れ、畑が一面に白くなって月夜のように明るく、それは綺麗なものだった。田圃の水をなくした所にずうっと植え、所々とびとびに摘み取る棉畑の面白さ、美しさというものは関東には少ないものであった。

明治の初めのころ、政府は米にも棉にも高い保護税をかけて、国産を奨励して輸入を防いでいたが、日清戦争のころになると、だんだんそれができなくなり、保護税をやめて、輸入を緩やかにした