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こきょうしちじゅうねん
故郷七十年
柳田 国男
「神戸新聞」神戸新聞社、1958(昭和33)年1月9日~9月14日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 257,350 字 · 507 页
中には不幸にあって英気沮喪したのもあり、兄としては、帰ってみてもだれも頼りになるものはなくなっていた。私が「あなたのお友だちは」と聞くと、いちばん親しかったのはだれ、同僚としていちばんよく付合ったのは何某など答えたこともあった。東京へ送り出すときには、酒を酌み交したり、旅費を作ってくれたり、餞別をくれたりして見送ってくれた連中が、世の波にのりおくれたりして、皆かなり暮し向きが酷くなってしまった。代りに出てきたのが、兄からみると年配の違う若い者であった。
帰村するのには、大まかなゆったりした縁故があればこそ、心をひかれるのだが、その糸が切れ、一つこの男を働かせて、なんて考えてくれる者がいなければ、やはり寂しいことであった。かつて同じ部落の中でも、とくに隣組付合いをした人々でも、都会に出たものがやって来ると、鉢巻を取って挨拶しなければならない。つい面倒だから、知らんふりをしてすごしてしまう。いいかえると、私どもが知らん間に上流階級の人になってしまっていたわけであった。私だけでももう少し頻々と帰るとよかったのだが、明治二十六年に帰り、次は三十一年、それから次が三十五年というふうに、間が開いたので、その間に他所から嫁が来たり、他へ移ったりして、故郷というものが、人間を離れて山水だけになってしまうのであった。