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こきょうしちじゅうねん

故郷七十年

柳田 国男

「神戸新聞」神戸新聞社、1958(昭和33)年1月9日~9月14日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 257,350 字 · 507 页

青空文庫

恋歌などを作って普通の文人の仲間入りをするのは、不本意だったのかもしれないが、他の坊さんは品行方正の人でも、必ずその歌集に恋歌の部が入っていた。

しかし時には契沖のような人もあったらしく、私の父の友人の石坂素道さんという歌詠みの坊さんもそうであった。私が十ぐらいの時にもう七十歳ぐらいであった。何か訳があって寺を離れて旅に出、辻川からも北条からも二里ばかり離れた南の方の、別名という足利時代の開墾地の村の野原の中に、小さな庵室を作って一人暮しをしていた。国学に詳しく、字が上手で、契沖に私淑している人であった。他に友達という人もないらしく、月に一ぺんは私の家に話しに来た。

母もよく知っていたので、私に話したことがある。「素道さんは女嫌いなんで、杖をあげようと思って差出すと、ぱあっと引ったくってしまう」そしてありがとうともいわなかったらしい。「仕方がないので私の家ではなるだけとりやすいところに置いておく」と、母は笑いながらいっていた。

その素道さんが晩年になり、大分弱って、やっと私らの頭を撫でてくれるくらいになったが、とうとう一人では暮せなくなって、世話役のおばあさんを呼んだ。