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こきょうしちじゅうねん
故郷七十年
柳田 国男
「神戸新聞」神戸新聞社、1958(昭和33)年1月9日~9月14日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 257,350 字 · 507 页
イナサ(東南風)
それが子供の私にとって非常によい刺戟となり、私が風というものを観察し、その名称や方向に特別の興味を引かれるようになった一つの原因のように思われる。
イナサ(東南風)
利根の川口から十七、八里も上った布川の辺を、白帆をはった川船がひんぴんと通る日の風は、あの付近ではイナサと呼んでいた。「良いイナサが吹く」といえば、風が海の方から吹いて来ることを指していたのである。私はイナサという風の名を初めて耳にした時、非常に深い印象を受けた。それからこのかた、イナサという言葉をきくと、いつも布川のころの少年の日を思い出す。
東京でももちろんイナサという。例えば「今日はイナサが強いから火事が大きくなる」などといって心配するのである。大体は海からの東南風の意味だが、もう少し幅の広い風らしい。帆というものは、真正面の風だけでなく、いくらか紐か綱で自由に加減しながら、少しぐらい正面から外れた風でも帆に受けて溯れるものである。つまり真東南だけでなく、その両側に少し外れた左右の風も含めて、広い東南風をイナサというのである。
イナサのイナというのは、万葉集など古い書物にたくさん出てくる海原、海神、海界などという海の古語、ウナがイナになったもので、海のことである。