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こきょうしちじゅうねん
故郷七十年
柳田 国男
「神戸新聞」神戸新聞社、1958(昭和33)年1月9日~9月14日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 257,350 字 · 507 页
出てみると、「ご主人に伯州へ来てはいただけまいか」という依頼で、わざわざ二、三人の使いが、伯州赤碕の町から訪れたというのである。つまりその土地で新しい漢学の塾を開こうとしたが、適当な先生がいない。いつも辻川地方を訪れる金扱き屋の話では、この家の主人はいつも本ばかり読んでいるところから、いい学者であろうというのである。
ちょうど父も、家計が貧しい時ではあり、その要請を容れて、赤碕へ赴くことにした。家を出るとき、父が歌一首をよんだのを、当時七、八歳だった私は憶えているのだが、このような歌であった。
いにしへは松をたのみし因幡山見つつ旅ゆく人もありけり
恐らく「まつとし聞かばいま帰り来む」の古歌が父の脳裡にはあったのであろう。
家族を離れて他郷の漢学塾の先生になった父は、世間に疎い人でもあって、ひどいホームシックにかかった。一年あまりで帰村することになったが、その時に送る人もなく、お伴一人だけつれて、岡山県津山の方を通って帰って来た。よほどひどい神経衰弱だったらしく、知り合いの後藤という津山の医者が、好意から父の所持金を預かって、後で送り届けるような方法がとられたそうである。