후리가나로 읽는 일본 고전
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どうひょう
道標
宮本 百合子
宮本 百合子의 道標(どうひょう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 846,457자 · 1672화면
うちで磯崎が、画の道具をひろげているところを、伸子たちは見たことがなかった。画架さえ立てられていなかった。磯崎はどこかに友人と共同のアトリエを借りていて、デュトの家からそこへ通って仕事をしているのだった。住居の部屋の壁に、どんな絵も複製も飾らず、殺風景なむき出しのままにしているところにも、伸子たちは磯崎がどんなに自身の画境の確立に神経を緊張させているかをうかがいとっていたのだった。磯崎の絵を、はじめて見て、伸子はふっと悲しさに心を掠められた。恭介と須美子は贅肉というもののない体つきから、鼻梁の高すぎるほど高い端正な顔だちから、夫婦というよりも兄妹のように互が似ていた。それだのに、須美子の絵と恭介の作品とのちがいのいちじるしさはどうだろう。まるきり二人の世界は別のものだった。須美子が自然発生的に、感覚のままに、よろこびとして描いたホノルル風景の上に、重ねられた恭介の作品は、極端に冷静で、探究的な様式の草花の絵だった。物体としての花の立体面と角とが頭脳的に分解されている。その絵をみて、伸子は、恭介が須美子の絵に理論がない、と云う意味をさとった。須美子の感受するのは、自然のうちに存在するものそのものの生命の訴えであり、恭介は、そういう風に感じとられるものを、もう一つ近代絵画の技法の上で唱えられている一定の方法