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しん・すいこでん

新・水滸伝

吉川 英治

「日本」講談社、1958(昭和33)年1月号~1961(昭和36)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 684,899 字 · 1374 页

青空文庫

――それから僅か半年後。現皇帝の哲宗が崩御られた。しかるに、じつの皇太子がおわさぬまま、文武百官の廟議は紛々をかさねたすえ、ついに端王を冊立して、天子と仰ぐことにきまった。

じつに人の運はわからぬもの。これぞ、玉清教主微妙道君、宋朝八代の徽宗皇帝とも世の申し奉った君だった。

徽宗は、東宮時代から、すでに風流公子たるの素行が見えていたように、帝位に即いてからも政治には関心が薄かった。

しかし、絵画、音楽、建築、服飾など一面の文化は、このとき一倍の絢爛を咲かせた。徽宗自身も、絵筆をもてば、一流の画家であり、宮中の宣和画院には、当代の名匠が集められた。

また、印刷の術が進み、書籍の版行も普及され、街には、まだ雑劇の揺籃期だが、演劇も現われ、すべて宋朝の特長とする文治政治はこの前後に或る頂点を示したといってよい。

けれど、文治のなかには、王安石一派の急進的な改革論をもつ者と、保守旧法にたてこもる朝臣とが、たえず廟に争っていたので、徽宗の代には、もうその内面に分裂と自解の、ただならぬ危機を孕んでいたのである。――にもかかわらず、徽宗は依然、風流皇帝であった。