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しん・すいこでん

新・水滸伝

吉川 英治

「日本」講談社、1958(昭和33)年1月号~1961(昭和36)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 684,899 字 · 1374 页

青空文庫

「……いいわ、もう。知らないわ、わたし」

と、妓は拗ねる。

絃の音に更けた新道の路次の一軒。夕方から飲みはじめて、すでに安道全先生は、海鼠のようになっていた。

ここは李巧奴の妓家で、通い馴れてもいるらしい。口説、いろいろあって、先生はひそかにうれしくもあり、持て余し気味でもあった。

「おい、巧奴、どうしたんだよ、飲まないのか」

「知りませんよ。どうせわたしなんか、あんたにとって、何でもない女なんだから」

「なにをいうのじゃ。山東といったって、一ト月か、ふた月の旅。すぐ帰って来るからと言ってるんじゃないか。さ……きげんを直して、きげんよく立たせてくれ。心にもない女なら、なにもわざわざ別れになど来やせんよ」

「じゃあ、山東行きなんか、お止めになったらどうなの」

「それができるくらいなら、何も苦労は」

「……おや、まあ」

と、巧奴はこのとき、座敷のすみの一卓に、独りぼっちで飲んでいた男の方へ、その流し目をジロとやって、

「忘れていた。そこにはお差合いの人がいたのね。もし、お連れさんえ」

「なんだい」と、張順は空嘯ぶいて、ニヤニヤ笑う。

「ご親切ね、あなたは。人の心を知らないで、うちの先生を、一ト月もふた月も、遠いところへ、ご案内して下さるなんて」