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たんげさぜん

丹下左膳

林 不忘

Read 丹下左膳 (たんげさぜん) by 林 不忘 (はやしふぼう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 241,861 characters · 480 screens

Aozora Bunko

夜の引き明け前には。

一度、深夜よりも森沈と、暗くものすごく、夜気の凝る一刻があるという。

今がそれだ。

気をつめ、呼吸をはずませて、箱から壺を取り出す左膳の横顔に、魔のごとき鬼気がよどんで、黒くゆがんで見えるのは、眉から口へかけての刻んだような一本の刀傷。

壺には、チャンと紅い絹紐のすがりがかかっています。その、網の目をとおしてのぞいている、壺の肌のゆかしさ! 美しさ!

さすがに伝来の名器だけのことはあると、左膳がその品格にうたれた時です。

暁の風に乗って、遠く近く、あれ! 半鐘の音が……。

八

「あら、お前さん、火事だよ」

とお藤が言った。夜具から首を伸ばして左膳を見た。

「うん、どうやら火事らしいナ」

左膳は生返事だ。

それどころではないのである。

すがりの網を片手でぬがせて、しずかに壺をとりだしている。

朝鮮古渡りの逸品だけに、焼きのぐあいがしっとりとおちつき、上薬の流れは、水ぬるむ春の小川……芹の根を洗うそのせせらぎが聞こえるようだと申しましょうか、それとも、雲とさかいのつかない霞の中から、ひばりの声がふってきて、足もとの土くれが陽炎を吐いている――そののどかなけしきのなかへ身も心もとけこむような気がする……。