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さぶ
さぶ
山本 周五郎
「週刊朝日」 1963(昭和38)年1月4日号~7月5日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 210,521 字 · 415 页
おすえはまた頷いた。
「おれがだめな人間になったというのは、そのことじゃない、そうじゃないんだ」
涙を拭いたあとのうるんだ眼で、おすえはそっと栄二を見た。おのぶが十能に火をのせて来、火鉢へ移して炭をつぐあいだ、栄二は俯向いて黙っていた。少しまえから店のほうに客が来はじめ、土間を出入りする女中たちや、板場から聞えて来るもの音などで、家の中は賑やかに活気づいていた。
「なにか用があったら呼んでちょうだい」とおのぶが云った、「なるべくこっちへは客を入れないようにするから、遠慮しないでね」
ありがとうと栄二が答え、おのぶは去った。栄二はまたくしゃみをし、片手でふところをさぐった。おすえはすぐに察し、袂から紙を取り出して栄二に渡した。彼は二つに折ってある紙の幾枚かを取り、眼を拭いてから洟をかんだ。
「お笑いぐさだな」と彼は自嘲するように云った、「こんなときに風邪をひくなんて」
「少し休まなくてはいけないわ、あたしのうちへゆきましょう」とおすえが云った、「下谷の金杉で筆屋をやっているの、狭いけれど栄さんの寝るとこぐらいはあるわ」
「そうできたらいいんだが、もうおれはだめなんだ」