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さぶ

さぶ

山本 周五郎

「週刊朝日」 1963(昭和38)年1月4日号~7月5日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 210,521 字 · 415 页

青空文庫

彼は呼吸のしずまるまで、じっと眼をつむっていた。つい五、六尺先で、岸に寄せる波の、やわらかな囁きが聞え、あるかなきかの微風は潮の匂いがした。

「よせばよかった」彼はつむっていた眼をあきながら呟き、太息をついた、「――あんなことをしてなんになる、腰抜けの、あんな虫けらみたようなやつ、唾でも吐きかけてやれば済んだことじゃないか」

暗い海のかなたに、夜釣りをする舟の灯が水に映って見えた。三つか四つだと思っていたが、暫くみつめていると、遠く近く、停ったままのや動いている灯が、かなりたくさん認められた。

「のぶ公、おめえの代りに六のやつを痛めてやったぜ」と栄二は舟の灯を見まもりながら呟いた、「あんな腰ぬけの臆病者のために死ぬなんて、おめえの姉さんもだらしのねえ人だったんだな」

のぶ公は負けなかった。六などにも負けなかったし、親たちを威しさえしたという。あたしたちのように貧乏だと、他人より親のほうが恐ろしい場合もある、とおのぶは云った。そうかもしれない、親のことは自分は知らないが、十年ものあいだ「親方」として尊敬し、信じきっていた芳兵衛。奥の人たちとさえ親しくしてきた綿文。