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さぶ

さぶ

山本 周五郎

「週刊朝日」 1963(昭和38)年1月4日号~7月5日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 210,521 字 · 415 页

青空文庫

わけにはいかないだろう。自分の気持だってそれではさっぱりしない、そう思って栄二は又左衛門に問い返した。すると又左衛門は静かに首を振り、そのことは忘れてしまえ、と云った。

――寄場の人足たち百余人から、そのほうを放免するようにと嘆願書が出ている、こちらの調べでも、そのほうを罰する事実はないということが明白になった。

いまそのほうにとって大事なことは、過去の出来事をいっさい忘れ、まじめな職人になるという気持で帰宅できるかどうか、ということだけなのだ、と又左衛門は云った。栄二は少し待ってもらいたいと頼み、仮牢へ戻って一日考えてみた。芳古堂のことを思い、綿文のことを思い、目明しのことを思った。まえにはそれだけでも、血が煮えたつような怒りにおそわれたものだ。けれども、いまはもうさして心も騒がず、怒りは小さな残り火のように、記憶の底のほうに消えかかっていた。彼は念を押すように、幾たびも同じことを回想してみた。そうして、かつてはあれほど誓った復讐の決意も、殆んどかたちを失っていることを知った。慥かだろうか、と彼は自分に問いかけた。人間のことだから、この気持が絶対なものだとはいえないが、いまは慥かだ。