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さぶ

さぶ

山本 周五郎

「週刊朝日」 1963(昭和38)年1月4日号~7月5日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 210,521 字 · 415 页

青空文庫

「このまえはそうは云わなかったぜ」

三人のやくざと喧嘩になったあと、栄二がそのことを語ると、おのぶは話をうまく作って脇へそらした。その口ぶりで、本当のことを云ってはいないなと察したが、栄二はそのまま聞きながしたのであった。

「云わなかったわ、だって云おうったって云えることじゃないんですもの」

「いまなら話せるのか」

「栄さん今日はどうしたの」とおのぶは栄二の顔をさぐるように見た、「――いつもはあたしのことなんか洟もひっかけやしないのに、今日に限ってずいぶん気にかけて下さるじゃないの、あんまりうれしがらせないで」

「そんなふうに聞えたら勘弁してくれ、そんなつもりで云ったんじゃあねえんだ」

「いや、あやまったりしないで、――たとえ嘘でもいい、栄さんがちょっとでも気にかけて下されば、あたしなによりうれしいのよ」

そして急に、おのぶは袂で顔を掩った。いまにも泣きだしそうにみえたので、栄二は狼狽した。

「酒を頼むぜ」と彼は乱暴に云った、「もうここはすっかりだ」

おのぶは黙ったまま立ち、顔をそむけて土間へおりた。まもなく、燗徳利を二本持って戻ったとき、おのぶの顔は洗ったようにさっぱりとし、あいそのいい微笑をうかべた口許から、八重歯を覗かせていた。