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さぶ

さぶ

山本 周五郎

「週刊朝日」 1963(昭和38)年1月4日号~7月5日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 210,521 字 · 415 页

青空文庫

小麦粉をよく水で練りあげ、袋に入れ揉むと白い水が出る、それを沈澱させたうえ、壺に入れて日蔭の土に壺の半分を埋めて貯える。表具とか屏風の裏打ち用には、そうして作った糊しか使わないし、壺の中でねかせる期間も二年から三年はかかった。

「さぶ、どうしたんだ」栄二は近よってゆきながら呼びかけた、「休みじゃあねえか、なにをしてるんだ、おまけにこんな裏なんかへ出たりしてさ、え」

さぶは答えもせず、振り向きもしなかった。栄二は彼の横顔が濡れているのを認めた。

「どうしたんだ」栄二は声を低めた、「なにかあったのか」

「なんでもねえ」さぶは首を振った、「なんでもねえんだよ」

「泣いてるじゃねえか」

「泣いてやしねえ」と云って、さぶは腕で眼のまわりをこすった、「捏ねをやってるときに、粉が眼にへえったんだ」

栄二はなお、さぶの横顔をみつめていたが、さぶは振り向こうとはしなかった。

「二人でどこかへいこうと思って、いそいで帰って来たんだが」と栄二が云った、「それを始めちゃったとするとだめだな」

揉み出しを始めれば、壺へ仕込むまで手は放せない。栄二はさぶと飲みにでも出て、おすえのことが話したかった。