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ことうのおに
孤島の鬼
江戸川 乱歩
「朝日」博文館、1929(昭和4)年1月号~1930(昭和5)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 181,795 字 · 359 页
て歩いたものである。休日には郊外電車の駅で待合わせて、よく緑の武蔵野を散歩した。こう目をつむると、小川が見えて来る。土橋が見えて来る。鎮守の森とでも云う様な、高い老樹の樹立や、石垣が見えて来る。それらの景色の中を、二十五歳の子供子供した私が、派手な銘仙に、私の好きな岩絵具の色をした織物の帯を、高く結んだ初代と、肩を並べ歩いているのだ。幼いと笑って下さるな。これが私の初恋の最も楽しい思出なのだ。僅々八九ヶ月の間柄ではあったが、二人はもう決して離れることの出来ない関係になっていた。私は会社の勤めも、家庭のこともすっかり忘れてしまって、ただもう桃色の雲の中に、無我夢中で漂っていたのである。私は諸戸の求婚などはもう少しも恐れなかった。初代の変心を気遣う理由は少しもなかったからである。初代も今はたった一人の母親の叱責をさえ気にかけなかった。彼女は私以外の求婚に応ずる心など微塵もなかったからである。
私は今でも、あの当時の夢の様な楽しさを忘れることが出来ない。だが、それは本当に束の間の喜びであった。私達が最初口を利き合ってから丁度九ヶ月目、私ははっきりと覚えている、大正十四年の六月二十五日であった。