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うえすぎけんしん
上杉謙信
吉川 英治
「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,102 字 · 256 页
「ひどい霧だ……」
「天の御加護。敵は近々と寄るまで、何も気づくまい」
途中で甘利、真田の二部隊は、べつな道へ岐れた。
物見平の上から、妻女山の搦手へ、虚を衝くためにであった。
時。――夜は白みかけてすでに今日は九月十日。
こんどの大戦初めての喊声は、この夜明け、この攻め口から、わあっと揚がったのである。
朝懸だ。
攻め貝、鉦、押太鼓。いちどに天地をゆるがして、側面、正面から、妻女山へかけ上った。
一万二千のあげる武者声は、声だけでも天地を震う。
まるで灰のように小禽が立った。満山の木々はおののき、落葉は雨のように降り、濃い霧は渦まいた。
「や、やっ?」
「ややっ?」
「空陣だ」
「紙旗だ」
ここ、彼処に、同じ驚愕と、同じ虚ろな叫びが聞え出した。すさまじい勢いでぶつけて来たこの山にはすでに人影もなかったのである。霧にぬれた紙旗の腹立たしさ、まだどかどかと燃え旺っている捨て篝火の憤ろしさ。
「出し抜かれた!」
武者草鞋の夥しい足は、全山の擬装陣地を、蹴ちらし、踏みつぶし、そしてまた、戒め合った。
「油断するな」
「どこに敵が現れるやも知れぬぞ」
「残念。すでに謙信は、味方のうごきを、先に知っていた!」